昭和49年08月23日 月次祭



 おかげを頂きながら、信心を頂いて行く。信心を頂きながら、おかげを頂いて行く、と。まあ、どっちが先とも言えませんけれども、まあ、初めの間は、おかげを頂いて、信心を頂いて行く。段々分かってくると、信心を頂いて、いわゆる、信心が中心になって来るから、その信心におかげが伴うて来るという、そういうおかげを頂いて行くのが、金光様の御信心だと思うです。
 痛い痒いがあってはなりません。あれがない、これがないという、ないないづくしでは、人間の幸せはありません。やっぱり、幸せには幸せの条件というものがあります。ですから、そういう条件が足ろうていくところのおかげを頂かなければなりません。と言うて、そういう幸せの条件が足ろうておりましても、信心を頂いて行きませんと、最近、合楽で言われる極楽ということにはなりません。
 信心を頂いて、初めてお金が生きると言う事になるのです。私は今日お月次祭にどういうことを皆さんにお話聞いてもらおうかと思うたら、今日のお野菜のお供えに新菊のお供えがしてるわけ。珍しい今ごろはね。新菊がまあ少し萎れておりましたけれども、先ほど私が見た時までは、こうしゃんとしてました。その新菊のお知らせを頂いて、私は今日は、今、ただいま申しましたようなことを聞いて頂こうと思うのです。ええ菊の花というのは、喜び久しいと文字って書きますと申します。
 北野の中村菊代さんという婦人総代さんがあります。もうやんがて八十です。それでもやっぱり毎日お参りをしてまいります。それは元気です。最近孫さんがちょっと具合が悪いですから、まあそのこともありますから、まあいよいよ勢いを持ってこの頃、信心を致します。その方がもう、言うならば私との付き合いも25~26年になりましょう。まだ椛目が開ける前からでございましたから。まあ私の信心にその付いて来て下さった方であります。当時御本部へ毎月、月参りをさせて頂いておりました。
 ある中村さんの念願成就というか、御祈念成就ある事の成就まで、こうこういう修行をさせて貰うという修行をなさっておられた。私は知りませんでしたけれども、その月が丁度満願の月だったと言う事です。教祖様の奥城でその皆で一緒にお礼をさせて貰いよりまして、ずっと一緒にお参りしておるモンの名前をずっと唱えながら御祈念をさせて頂いておりましたら、中村菊代という氏子の願いをさせて頂きましたら、今までその戸籍上はそうでしょうけれども、中村キクヨというカタカナでキクヨというのであった。
 それで所が私が神様にお願いをさせて頂いておりましたら、漢字で「喜久代」と頂いた。喜び久しい代と書いて。ね。それで私は、そのことを御祈念が済んでから中村さんに申しましたら、先生実はああ言う様な修行をさせて、ああいうというのがその頃、25~26年も前、細々とした言うなら履物商をしておられました。履物の行商をなさったり、そして家には小さい履物の商売を、段々なさる様になっておかげを頂かれて。
 もう本当に置いた物を取るようなおかげを頂かれて、お家も買われお家も立派になり、お神様のお部屋も出けてね。もう本当に極楽のようなおかげを頂かれた。そういう事柄がだんだん成就して参りましたね。私がこれからは中村さん、漢字で喜久代と書かなければいけません。喜び久しい代と書かなけりゃいけない。まあ言うならば一つの、今まであなたがとても普通では出来まいと思うようなご用を一生懸命させて頂いた。
 そういう細々としたお商売の中から、当時500円と言えば今の矢張りどうでしょうか、五千円にも匹敵致しましょうか。ね。細々と言うなら履物の行商でもなさっておられる方が、毎日今で言うならば五千円ずつのお初穂を何年間続けられたんです。今にして言われますがようあげな事が出来よったと言うわけ。自分がしたのではないそういう一心発起をしたのは、私だけれどもさせて下さったのは、神様だと言う事である。ね。
 何年何月までと決めておったのが、実は今日がその満願の月に当たりますと言う。神様が、言うならばカタカナのキクヨから、言うならば喜久代という漢字の、言うならば御神格を下さった。ね。心にいつも喜びの言うならば菊の花の様な喜びを咲き続かせる事。愈々おかげが頂けてくる。ね。けれどもこの喜びを失うと喜びと取るといわば後はクヨクヨになってしまう。ね。喜久代の喜の字を取ったらあとはクヨクヨです。
 クヨクヨ、言わんな欄様な事にもしなったとしたら、今私は喜びを信心の喜びを欠いでおる時だと悟らせてもろうて、愈々喜びを深めて行く、信心にならなければいけまんよという、その時の御理解でした。ね。そういう意味でです矢張り菊と言う事は、心に喜びを頂くと言う事なんです。ね。所が菊の花というのは、ただ観賞するだけ見るだけ美しいと思うだけ。ところが新菊はそうではないでしょう。勿論新菊の花は咲きますけれども、食べる事もあれば、花も咲くというのが新菊です。
 そこで今日は、金光様のご信心はね、ただ喜びさえ頂きゃええというのじゃなくて、その喜びに所謂おかげが伴うて来る、というおかげの受けられるのがお道の信心。おかげを頂くと言う事が言うならば、低級やら下品なように言うけれども、おかげの頂けれる宗教こそ、最高の生きた宗教だと言う事になります。ね。心に信心の喜びが開けて来る。その信心の喜びに、おかげが伴うて来る。ね。そういうおかげが大体は理想的です。けれども普通一般の人は、ね、お願いをするおかげを頂く。
 最近の様にもう毎日毎日が奇跡です。毎日毎日新しい方が10人、14~15人はお参りがあります、最近は。お願いをして帰られる、必ずおかげの印が見える。ね。そういう、例えばおかげを受けられると言う事と同時にです、私共が信心を頂いて行かなければいけません。ね。自分の心の中にこれが信心の喜びであろうか、と。その喜びを開いた時が、私はあなたが極楽であり、そういう一家になれた時があなたの一家は、もう極楽のおかげを頂いた時であるから、その極楽のおかげをいよいよ、ね。
 もっと素晴らしい極楽のおかげにするために、愈々喜びの神恩報謝の信心。その神恩報謝の言うならば焦点を、最近では合楽を現わす。言うなら合楽示現活動という風に申しております。そこで合楽では今、私が申しましたように、皆さんが信心を頂かれ、信心の喜びを頂いて、成程お話を頂いてみれば、私どもはおかげを受けておるなと、第一健康のおかげを頂いておる、金にも大した不自由をしない。いやそれはその日暮らしであっても、明くる日困ると言う事がない。
 どっからかご都合お繰り合わせが頂けておる。一遍も食べんじゃったと言うな事もない。ね。おかげを頂いて、信心のおかげで家の中に争いも起こらない。争いのない貧乏のないね、言うならば病気のない。合楽ではだんだん薬がいらなくなって来る、薬箱が無くなって来ると言う事は、もう病気したっちゃ薬飲まんと言った様な(ぞうはった?)ものではなくて、事実薬を飲まんで済むようなおかげを受けるんです。ね。
 そういうおかげを改めて見てみる。ね。大体もう日本という国は、そういう意味で大変恵まれた国柄であります。春・夏・秋・冬がもうはっきりしておるというだけでも、素晴らしいです。ね。夏は夏で夏の有り難さがあり、冬は冬の有り難さがあり、春秋は言うにさらなりである。ね。もうこの様に恵まれた国土に、お互いがおかげを頂いておるのですから、言うなら、極楽を実感するのに、一番実感しやすい国土に、私どもはおかげを頂いておると言う事。
 日本という国に、こうやって生を受けておると言う事を、先ずは第一にお礼を申し上げなければならない。ただ自分の心がけで、ああ、暑い暑い、ああ、寒い寒いと言うてこごえておるような、これは自分の心から。ね。今朝からの御理解の中にも、人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合うような、信心をせねばならんという、御理解に基づいて頂いた。人間がまずは、ね、万物の霊長であると言う事を知らなきゃ、自覚が出来なきゃできない。
 それこそ虫けらですら自然の働きの中にです、もうそれこそ何不自由のないおかげを頂いておる。虫けらながらも一つの霊感を備えておる。ところが人間万物の霊長であるという、万物の霊長と言われる人間が、その霊徳というものが、だんだん消え失せて無くなって、そして今日地球上にしんぎんしておる人間の姿がそれである。ね。そこで私共がいかに道理に合う生き方、道理に合う信心をして来なかったかと言う事を、ここに改めて気付かせてもろうて。
 道理に合う信心をさせて頂いて、春夏秋冬そういう暑い寒いの中に、何の不自由もない。暑いけれども、暑さを感じんほどの、寒いけれども寒さも感じんほどの、これを極楽というところであろうかというような頂き方の出けれるおかげを頂かせてもろうて。ね、おかげを頂くという。私は2~3日前、面白いと言うか、まあ信じらなかったら、ここんところに出ろうと思うとったけれども、初めて北野から御兄弟が御信者になります。ほれで、その方をお導きして見えました。
 もう私と友達と言うのですから、もう今年が還暦というお婆さんです。ね、どう言う事のお願いであるかと言うと、嫁を貰いましたけれども嫁がなかなか親の言う事を聞かん。夫婦は仲が良いけれども私をいらんモンにする。朝は8時にしか起きらん。ね。そしてテレビを見て、そして言うならばお百姓さんだそうですから庭が広い。草なっとん取りゃええけれども草は取ったっちゃまた生えますけんち言うげな。(笑)
 面白い事言うですね。そしてあなたもう四時ごろ何かツーッと買いモンかごどん下げちから買いモンに行く。あらっその何ば買いもんに行きなさるですかち、夕方の安う魚やら野菜やら買い行かんならん。ああお宅にはお野菜やら作りなさらんとですか、いいえもう、私が見事にこう作っとるばってん、嫁御につませるごとなかち言わっしゃった。(笑)腹ん立つち。もう作っとるばってんから、あの嫁がつむと腹ん立つけん、私が作ったとは、取っちゃ出けんばのち言うちから怒る。
 それけんならあなた嫁御さんが買いものかご下げるとと、買い物野菜市場に行きなさるとは当たり前なこと。けれどもそれを当たり前と思っていない。あっちならこっちもこっち。恐らくその嫁さんがです、草なっとん取らんのち言うたっちゃ、取らん人ではなかろうけれども、お婆さんもそうだから、ならもう取ったっちゃすぐ生えるけんでち言う様な、言うならば皮肉な事を言われるのじゃないだろうかと、私は思うた。
 まあ聞くしこ聞かせて頂きよったら、今度はとうとう泣き出してから、そのとを言われた。もう私は聞いておるとお礼を申し上げねばならん、本当にお礼を申し上げねばならな言う事に、血の涙の出るような思いをして、毎日過ごしておられると言う事ね。それでどうぞ嫁御がちっと言う事を聞くようにという願いであり、ね、もう何ならばもう離縁でもしたいというような気持ちで、お願いに見えたんです。だからまあ聞くしこ聞かせて頂いてから、まあ私の話を聞いて頂いたんですけれども。
 今度は29日の敬親会の話を致しました。この敬親会65歳以上の年寄りの方が集まっての信心共励ですけれども、初めの間はやっぱり嫁の悪口やら、養子の悪口やらでそれを話なさると、もう泣き出して話しなさるお年寄りはいくらもあった。だんだん信心のけいこをさせて頂くようになったら、悪いのは、嫁御じゃなかった、養子じゃなかった、私が悪いとじゃった。おかげで、(餅屋?)が円満に行って、おかげを頂いておるという人ばっかりなんですよ、と。
 だからあなたもどうでも出ていらっしゃいと申しましたから、今度はあの29日にはどうでも一つ、んなら、おかげを頂きたいと言うて帰られましたけれどもです。そういう笑い話のようなことですけども、本人にとっては、血の涙の出るように情けない。草なっとん取らんのちいくら取ったちゃ、また生えるけんでち。(笑)ね。だから今度はまあ、夕方野菜畑に行きなさると、私が作ったじゃけん取っちゃ出けんち。
 ほれで今度はまた家に野菜があるとに、野菜買いに行かっしゃらにゃならん。そして嫁御さんな、買い物のかごどん下げちから野菜買いに行くです。それはどうにもね。けれども私は笑い話のような事実のそういう話がです、そういういわば問題が問題にならないようなことを問題にして、いよいよ問題をややこしゅうして、言うならば争いの家庭世界を作って行っておるのが現状、人間の姿ではなかろうかと思うのです。ね。
 自分の目的を完成するためには、それこそ人の茶碗を叩き落してからでも、自分が儲け出しさえすれば良いという、自分主義の生き方をする所から、世の中はいよいよ済み難うなる。ね。金光様のご信心を頂いて、いわゆるいよいよ自分の心の中に、喜びの心を開いてその喜びの開ける、その開けて行くことを楽しみに、日常生活をさせて頂くならばです、問題もありましょう。
 けれどもその問題は、問題が無くなって来ると言う事は、神様の心が分かってくる。問題の本質が分かってくる。ね。どう言う事かと言うと、神様の心が分かってくる。天地金乃神様といのは、氏子可愛いという一念に燃えてお出でる神様です。氏子が幸せになることだけを願っておられる神様。そういう神様を拝んでおると言う事が分かってくる。そこで起きてくるその問題もです、それはちょっとは、見た目には情けない問題、腹の立つ問題であるけれども。
 よくよく考えてみると、私自分自身のために神様が、より大きくなれ、より磨けより美しゅうなれという、神様のお働きに他ならないと言う事が分かってくるから、もう問題はそこで有り難いで消えてしまう。そういう世界におかげは広がりに広がって行くのです。昨日吉井の方から、安藤さんのお導きでお参りをして来た親子があります。今朝もまた、朝の御祈念にも参って来た。高校の四年生ですか、もう今年が就職ですかね。就職の事でまあ職を選んどかなければならない。
 そのことだけかと思うたら、やっぱり色々とあれやらこれやら、言うならば親姑の問題姑の問題やら、もうそれもひどいお話であった。そういうお話や様々な難儀な問題があるのです。ね。私がその方のお願いをさせて頂いておりましたら、「十八」と言う事を頂いた。ね。十は結ぶという、十は漢字の十ですね。これは結ぶと言う事。八は広がるということ。言うならば今日私とあなたが結ばれた。
 御神縁によって結ばれた。そして私の話を聞いて下さる事になって、それを行じて行かれる事になれば、これはもう広がりに広がって行くおかげになるというお知らせであった。次に漢音様も一寸八分と頂いた。浅草の漢音様は、ああいう大きな伽藍堂ん中におられますけれども、御神体は金木の一寸八分。これが漢音様の実際実像だそうです。観音様も一寸八分。これは私は意味がわからなかった、どう言う事かけれどもやっぱり一寸八、一八だからまあ、その十八のことだろうと思うとったけど。
 今朝御理解を皆さんに聞いてもらいながらです、ははぁ観音様ていうのはそう言う事だなと分かった。仏様も沢山ござるけども力といものを持ってござるのは、観音様だけだということですね。観音力と言う。言うならば神徳霊徳を合わせて持った人だと言う事です。男と女の内容、陰と陽とを一緒にここに持っておるという。ておるこう頂いておる観音様を次々と頂くんです。私の控えにも備前焼の見事な(子連れ?)観音様があります。まあ繁雄さんが休んでおられる部屋にも、観音様の立ち像があります。ね。
 あの大接間においでますと、こんな大きなシナの観音様の象が置いてございます。それから漢音様のぶつめんが私の部屋にあり西玄関にあり、若先生の部屋にありだから漢音様だけが六体ある。私は観音様が好きですからまあ神様がああして集めて下さったんでしょうけど。今日は次々とそれを頂くんです。今朝の御祈念には昨日一寸八分の観音様と言う事はね。そういう霊徳神徳を兼ね備えると言う事だと観音力というのは。
 そこで今日の朝の御理解じゃないですけども、人間は万物の霊長であるから私共の心の中についておる我情我欲というものを外すと、段々問題が問題でなくなって来る、段々心は有り難うなってくる。わが身は神徳の中に生かされてあるという実感を、ひたひたと感ずるようになってくる。ね。そこに御神徳が頂けて来ると同時にです、いや霊徳が頂けてくると同時にです、皆さんこの霊徳を頂くと言う事はね、色々あの日々けいこなさらなきゃいけんのですよ。
 例えば私はお風呂に入る時間でも、もう時間であっても入って良いかどうかをお伺いします。してまあしばらく待てと言う様な時には、私は待ちます。そすと待たなければならないことが必ずあります。髭をあたろうともうだいぶん伸びとるから、髭いっちょあたろうと思うけれども、いやあたらんでおりますと、ちゃっと髭をあたる人が来てくれます。ね。もう食べるにも飲むにも、いちいち神様のご神意を頂いておかげを頂く。皆さんもそれを稽古しておりなさい。
 ちゃんと心の中にですね、例えば飲んでも良いか悪いか、教えて下さるようになるです。ね。もうどこへ例えば用事で行こうと思うてもです、今日はどこどこへやらせて頂こうと思いますと言うて、自分の心の中の神様にお伺いをしてみる。そすと心の中の神様がです、言うならば自分のこの、これが磨かれ開かれて来るにしたがってです、はっきりそれを教えて下さる様になる。これで教えて下さらん時には、見るものを持って教えて下さるね。前を通っておる車のナンバーの中からでも、話かけて下さる。
 そういうのが霊徳という。だから人間はそういうです、働きを現すだけのものを皆持っているんです。だからその稽古を一生懸命なさらなきゃいかんです。ね。昔のここで修行生の方達が、お月次祭なんかの時なんか、もう夜中でしたがね、今の文男先生達が修行しよる時分でした。もうお供え物がたくさん来ますと、その一つひとつを不浄が掛っとるか、掛っとらんかを伺いよる。
 そしてこれはもう不浄ん掛っとったら、こうやってお供えせん。もう御信者さん方はもういっぱい、このお広間で一緒にしてましたからね。自分のお供えしとるとが、お三宝に乗るじゃろうかと思うて、もうそれこそ冷や冷やしながら。勿論はあほんにあげな不浄があるからと、一生懸命お詫びをしながらしよると、それをこうやってようやくお三宝に乗って、はあ良かったと言った様な時代があったんです。もういちいちお伺いをしながらでした。そういうけいこがね、やっぱなされなきゃいけません。
 とにかく便利ですよ。(笑)ね。自分で自分のことぐらいお伺いが出けると、これは霊徳なんです。お伺いをする、ね。そんかわりよか女子に会えるでん何でん、今から会いに行きますち言う。(笑)そすと神様が、いかんならいかんよかならよかで教えて下さる。ね。だからけどそう言う事ばっかりに利用しよると、やっぱしやられます、いけませんですけどね。まあ時々はいいでしょうがち言うか。(笑)
 同時に今日私が申しますように、おかげを頂き頂き、霊徳を磨いて行くと同時にです、信心を頂いて行き行き、神徳を受けて行く所のおかげを頂いて、漢音力を頂かなければならん。ね。そして折角私とあなたが、ね、私と皆さんがこうして結ばれたのですから。ね。十の字が八の字に広がりに広がって行くおかげを頂いて行かなければいけんのです。頼んだからおかげを頂いたというのじゃなくて、もう頼みもせんのに、神様が先立っておかげを下さるようなおかげを頂かなければいけんのです。
 そのために愈々信心を頂いて行こう、と。先ずはだから極楽に行かなきゃいけません。ね。もう何と言うても、自分が頂いておるおかげの有り難さ、勿体無さもうそれこそ大小便所にでも行ってです、大便が出る小便が出る。こげなおかげな事はないです。もうちょっとこれだけでも極楽ですよ。もう本当にもうそれこそ、便所に行ってからね沢山、たっぷり大便をした時のあの気持ちが極楽だと本当に。
 もう小便(もろうとるばってん、いつしてん回らんちゅうなら)、もうこれは地獄です。股どん透けち回らんごたるなら、どんこんされん。(笑)いやそげな風に昔あったですやっぱ。そげんとは地獄。(笑)ね。だからもうそれは本当に、もう水いっぱいが美味しゅうして堪えん、ご飯が美味しゅうして堪えんちゅうのは、こげな極楽なことはないです。ですから先ずは一つ極楽を自覚する。ね、実感させてもろうて、その極楽が愈々広がりに広がって行くためにです、ね。
 頂き足らんごたる心やらを捨てきってです、頂いておるおかげに神恩報謝の心を現わして行く。その現す焦点を今合楽では、合楽示現活動だと言われております。ね。先程お祭りに出ようとする時でしたけど、上野先生の兄弟が広島から北野の方へ見えておる。今日は善導寺のお母さんが、今日はそげな風ですから敏夫さんが、あの言うなら笛のおかげを頂いてますからね。今日はそんなわけでおかげ頂かれませんと言うて、お初穂だけさせて頂いとりましたから。
 そりゃしもうたのそげん向こうから来とんならば、あんたはもうずっとあの人どんのことをお願いし続けとるのじゃから、もうこげな月次祭の晩に来合わせたちゅう事が有り難いことじゃから、もうおご馳走やらは明日してから、今夜は一緒に皆でお参りをさせて頂くと良かったの、上野さんに言やあ上野さんが電話かくるとこじゃったろうとここでいっちょ、私は言いました。
 したら上野先生もやっぱ、それを聞いたそうですけれども、明日お参りをするというから、今夜参って来いと言わじゃったと言うから、私が上野先生に申しました。今、合楽で言われておる示現活動とはね、そういう事なんですよ、と。はあ今日はちょうどお月次祭に来合わせた。さあ今日はもう早う風呂入って、普通もうご飯おご馳走はせん。もう、明日するけん、なら今日はもう、皆お店閉めてしもうて兄弟一緒におを月次祭頂こうというような、私は雰囲気を作ってあげなければいけなかった。
 あなたは電話かけたならば、そういう風に今日はお参りしておいで、今日はお月次祭に参ってくるのが、もう滅多にない事だからと、そう言う様な私は働きをね、起こして行かなきゃいけないと言うのです。大祭の時だけが奇跡が現われるのじゃない。月次祭にも奇跡が現われる様なおかげを頂かにゃならん。ね。そういう例えば喜びの人達が集まって、ここが喜びの坩堝になる。そこにで初めて参って来た人達がです、ね。
 長い間ご飯も食べられなかった人がご飯が頂けるようになったり、目がもう見えん寸前の人が見える様になったり、手の筋が切れてもう手はこうやって動かんという人がです、こうやって動く様になったり。今度の御大祭では、そういうおかげを頂いた人達がいくらもあるんです。ね。それは、お互いがです、同でも一つ、極楽のおかげを実感して、その極楽を頂いておることの神恩報謝の心、その現われが、ね。
 今日はお月次祭ばい、忘れとりゃせんのと新しい方には、電話の一つもかけさせて頂いて、ね、合楽を現す事の為の働きをすると言う事が、おかげなのです今の合楽は。ね、だから今の合楽はここに焦点を置いたらいいのです。合楽示現活動に参画させて頂くと言う事です。ね。そう言う所にです、合楽を現す事が出ける程しの信心が出けた時に、私は御神徳に触れる事が出ける、御神徳を頂く事が出ける。それは神様の願いであり、神様の手になり、足にならせて頂く事であるから、おかげになると言うのです。
 ただおかげの世界極楽の世界だけでは、言うならば私先程申しましたようにね、稽古をすりゃ霊徳位は、段々受けられましょうけれども、神徳はそういう訳には参りません。神徳は言うならば神様の手にもなろう、足にもならせて頂いてです、お役に立たせて頂いて初めて神徳霊徳、所謂観音力というものが身について来るのです。そういうおかげをね、一つ頂かせて貰わなければならんと思います。どうぞ今合楽で盛んに言われております、どうぞ合楽示現活動。皆さんがまだ意味が良うと分かっておらん。
 まだ実感としてピンと来ない。ね。来ないのもそれは仕方のない事ですけれども、今日日田からお参りになった方が、丁度日田から続いて6~7人お参りがあっておりました。そこでテープを頂いておられた。所がある一人の方が夕べ結婚式で、夕べ殆ど眠ってなかった。だから御理解を頂きながら有り難いなあと思いながら眠ってしもうとった。そしたらその眠ってしもうてハッと我に帰った時に。
 はあ私は今こげなお夢を頂きよったと言うて、親先生がもう見事な大きなセンスをね、こうやって渡されてから、受けとってパッと目が覚めた。だから今日はねあなたが御理解を頂かんでん、もうちゃんと御理解を頂かんでん、神様が今日の御理解の内容を下さったんですよと言うて、まあ話した事でした。もう今日の御理解頂きなさんでん良か。言うなら結ばれた十の字に結ばれた。それから八の字広がりに広がる。
 末広に広がって行くというおかげ。それには肝心要の所をしっかりして、開くのは自分が開いて行かなければいけませんよという、御理解ですよと言うて、話した事でした。ね。だから矢張り神様がセンスを下さったんなら、肝心要ん所をちゃっと頂いた。今日はその肝心要ん所を聞いて頂いたんです。そして広がりに広がって広げて行くと言う事はです、極楽の自覚そして神恩報謝の心。その神恩報謝の心を、ね。
 合楽示現活動に参画させて頂くと言った様な生き方に、このセンスは広がりに広がって行く所のおかげがある。私と皆さんが結ばれただけではいかん。結ばれて広がって行くおかげを頂いて行くということがです、私はいわば新菊のお野菜でもあり、花でもあり食べられもすりゃ、花も見られると言う様なおかげである。金光様のご信心はその両方が、ね、丁度車の両輪のように、ね、御信心が頂く。頂けたら頂いただけ、おかげも矢張りそれについて来るようなおかげを頂くのが、お道の信心であります。
   どうぞ。